思春期の不登校に思うこと、現代の思春期のむずかしさ

ただでさえ、子どもから大人へ変化の時期である思春期。
健康なお子さんでも、一時的に精神的な不調や、精神疾患の方と同様の症状を見せることもあります。

時代の流れは速く、
親世代が思春期を過ごした時代と、現代は大きく違います。
ですから、養育者たちは、自分たちの時代の常識で現代の思春期の子どもたちを理解してあげることはできませんし、
子どもたちも身近にお手本がないまま、思春期を乗り切らなければなりません。

子育てはどんどん難しくなっているのかもしれない、こんなことも思います。

単純にスマホもラインもネットもなければ、もっと思春期の子育てはシンプルだったのかもしれないですね。
(もちろん、あったから助かった!ということも多いでしょう)

私は以前、臨床心理士の先生の講座に出席しました。
その中で、子どもたちの変化/最近の子どもたちの傾向についての話を聞きました。

スクールカウンセラーもされているその先生の実感として、
以前の子どもたちは、

問題の【積上げ型】の子どもが多かったとのことです。
例えば不登校の場合、しっかりとした原因があって、なので、学校に行けない、なので、お休みが続く、といったように問題が積みあがっていくようなイメージです。

【友達とケンカした】⇒【気まずいので学校に行けない】じゃあ、友だちと和解する場を作りましょうと、周囲の大人は場を提供してあげれば良かったのです。

熱血先生のドラマでもよくありますが、子どもを問い詰めて「なんでなんだ」と原因を聞きだし、それを解決すれば、不登校も解消されます。

積木の崩れてしまった段を見つけ出し、きれいに積み直してあげるイメージです。

ですが、現代、平成の子どもたちは少し違うようです。

現代の子どもたちの問題は【並列(画像の漢字が間違っていますが…)】にいくつも散らばっています。

一昔前の子どもたちのように、積み上げられていないのです。

ですから、例えば手前の一つの箱の問題を解決しても、
だからもう学校に行ける、という風にはなりません。

子どもに聞いても、これといった原因がないこともありますし、
あったとしてもわかりやすい、はっきりとした契機ではないので、子どもが言葉にできなかったりします。

そして、いくつ問題の箱があるかも、子ども自身わかっていないこともあります。

大人が自分たちの世代の経験から、
積上げ式の子どもに対する対応を、いくらしたところで、
不登校は解消されないことが多いです。(する場合もあるかもしれませんが)

多くの場合、明確な契機のようなものを聞きだそうとすることは、逆効果です。

子ども自身も説明できないものを問い詰めることになりますし、
それを解決したところで、学校に行けない場合に子どもが罪悪感に苦しむこともあります。
(一時的に、子どもは、大人の気持ちを汲んでサービス精神から行くかもしれませんが、エネルギー切れしてしまうことが多いように思います。子どもも養育者が自分のために頑張ってくれていることはよくわかっているでしょう。でもそれと、行けるかは、別問題です。)

また、頑張って聞きだして、その問題を解決したとしても(例えば、友だちと仲直りさせる、担任を変えてもらう、など)不登校は解消しないことが多いですので、大人は「こんなにやったのに」「解決させたのに」とがっくりきてしまったり、子どもに怒りが湧いてきてしまうこともあります。

どうしても契機が聞きたい場合には、子どもが自分から話し出すのを待たれると良いと思います。
子どもが苦しんでいるのを目の前で見ていたら、何かしてあげたい・できることを探したいのは人情ですし、親心と思います(契機がわかれば、動きようがありますから)。

ですが、現代の場合、
何かしてあげたいときには、子どもの心が温かくなって、ふっと話し出したくなるような、ゆるやかな空間や関係性を維持することにエネルギーを注がれると良いのではと思います。家の中に、当たり前の日常がある、それも子どもたちの安らぎになるでしょう。
養育者の方が、子どもが話し出すのを、根気よく、リラックスして待てるように、「きちんと息を抜いていくこと」「健康でいること」「気楽でいること」なども重要かもしれません。子どもでのことで頭がいっぱいな時こそ、趣味などはいつも通りにされると良いでしょう。

時代の変化の大きい現代の思春期事情は複雑で、対応は難しいものです。

ぜひ、お困りのときには無理をされすぎず、専門職の手を借りに来て下さい。
(もちろん、当オフィスでなくても!)

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